信越縦貫鉄道ルートの歴史

今から140年前の明治10年に開通した富倉峠。

その10年後の明治21年に開通した信越本線。

その130年後の平成27年に開通した北陸新幹線が、関田山脈越えの最新ルートである旨のお話は、鉄道マニアの私ならではのガイド手法。( ^ω^ )


昭和30年刊の飯山町誌にある記述によると、

 飯山地方鉄道敷設については、明治十四年頃、時の鉄道長官井上勝氏が信越地方視察の途、飯山地方にも立ち寄られたが、当時の町民は大いに反対し 島津祏四郎一人歓迎せるのみであり、付近の静間・蓮等の各町村は反対の陳情書を鉄道庁に差し出すという有様であったが、十五年には聊か(いささか)覚醒し島津忠貞を委員として、信越線の速成を計ることに奔走せしめ、同年七月高田(新潟県上越市)本誓寺で信越聨合の大会を催して陳情書を鉄道庁に提出する運びとなった。まもなく政府では信越線官設の発表をしたが、この時上水内北山方面を代表した中村兵左衛門は大いに私財を投じて運動したのに反し、飯山地方では楽観して余り運動もしなかったために、ついに現在の信越線に決まってしまった・・・・・・・



中山道をたどる鉄道ルートの計画が持ち上がった明治初頭、いくつかの候補の中、実際に鉄道省のトップが飯山を視察に訪れたと言うことが読み取れます。

その反対運動の模様については、私の愛読する宮脇俊三の鉄道エッセイでも紹介されています。


そして今私が読み進めているこの本にも信越線、飯山線の歴史について詳しく書かれています。


明治初頭の飯山の人たちにとってみれば、蒸気機関車が牽く貨物列車は、馬方の仕事を奪い、稲や桑を枯らす悪魔同然だったのでしょう。

建設計画が具体的になる前から、早々と反対運動を巻き起こし、知らない間に妙高高原ルートに決まってしまったと考えるのが無難な見方なのかもしれません。



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プロフィール
木島平でユースホステル
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